耕地整理の成果

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 大正一〇年以来想を練って、一一年に成立した耕地整理組合は、同年五月から起工し、障害家屋の移転撤収や工事資金などの難局に直面したが、関係者の努力によって大正一四年三月一応工事を終え、同年五月には換地交付も完了して事業は終了した。
 換地交付に先だち家屋の新築希望者が続出、「換地交付を了するや家屋は恰も相競ふが如く新築に亜ぐに新築、数年間は其処彼処に響く豪勢なる建築作業の音は絶ゆる事なく当時世人を驚異せしめたる程にて地内の大部分は数年間にして整然たる新築家屋軒を連ねた」(事業報告書)という。
 この事業により、整理前後の地区内土地面積の増減は、国有地は二町九反余を増し、民有地は二町六反余を減じている。しかしながら地価の高騰は著しいものがあり、交通の便利さと相俟ってその成果は莫大といえよう。
 事業報告書にはその成果が次のように記されている。
 
 地区内は全く四通八達二六町歩の地域は殆んど空地を存せざるまでに新市街地化し其の急速なる発展は寧ろ予想以上にして整理前反当一石乃至一石二斗の小作地は七石五斗(坪二升五合)乃至十石五斗(坪三升五合)の宅地と化し一面反当四五百円の耕地は十数倍の価格に昂騰地価の増進祐に一百万円を突破し組合員の福利は固より町の繁栄に寄与したる所尠からず

 
 昭和一五年には銀行からの借入金の返済も終り、昭和一六年一〇月に耕地整理組合は解散した。組合では、事業の完了を喜び大橋正八幡神社境内に記念の「立功不朽(りっこうふきゅう)の碑」(写真4)を建てた。碑には「広い田が街になった」という喜びの文と事業の経過が刻まれている。
 
写真4 立功不朽の碑(大橋正八幡神社境内)
写真4 立功不朽の碑
(大橋正八幡神社境内)