大正一二年、京都郡泉村崎野(現行橋市西泉二丁目)に福岡県立農事試験場豊前園芸分場が設置された。明治一二年福岡県では、近代的農業技術の確立と普及を図るために勧業試験場を那珂郡春吉村中洲(現福岡市)に設置した。同試験場は農業技術の改善と指導者育成に大きな足跡を残してきたが、同試験場が主として行ってきたのは米穀改良であった。豊前園芸分場はそ菜や果樹の改良と普及を目指したもので、商業的農業の発展を促し、農業経営を安定化させる狙いをもっていた。
豊前に設置されたのは新田原が梨や桃などの主産地となっていたからである。大正九年(一九二〇)、新田原の果樹農家は京都郡長に農事試験場設置の交渉を開始した。大正一〇年一二月、郡の県への働きかけや京都郡選出の県会議員筒井省吾らの尽力もあって、農事試験場豊前分場の設置が県議会において満場一致で決定された。
同園芸分場では果樹部、そ菜部が設置された。用地一町九反五畝は京都郡が寄付し、そ菜園四反歩、果樹園六反歩で品種比較試験や模範栽培の展示など様々な取り組みがなされた。昭和二年には西日本最初の園芸加工部と水田部、次いで昭和四年には菌虫部が新設された。園芸加工部では園芸作物の缶詰、瓶詰め用品種の選抜と製造方法の研究、ぶどう酒の醸造研究などを行っている。水田部では米麦の品種選定と原種採取が中心であり、菌虫部では果樹やそ菜の害虫類についての試験を実施した。