行橋信用購買販売組合

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 産業組合の活動を、昭和二年に設立された行橋信用購買販売組合について見てみよう。同組合は当初は信用事業だけを行う「有限責任行橋町信用組合」として設立され、昭和五年に購買販売事業も行う組合となった。その出資者は図5に示したように、農業者よりも商人が多くなっている。北九州地域や福岡市に設立されたような市街地信用組合ではなかったものの、不況下で資金繰りに苦しむ商人の輿望を担って設立されたといえよう。設立に中心的な役割を果たしたのがどのような人々であったのかはわからないが、理事、監事に就いたのは地主でもある有力商人であった(表16)。
 
図5 行橋信用組合の組合員構成
図5 行橋信用組合の組合員構成
出典:行橋信用組合『第二回通常総会事業報告書』

 
表16 行橋信用組合の理事・監事(単位:円)
氏名役職職業など営業所得
肥田源太郎組合長酒醸造業、地主4,278
福島八三郎専務文具商、地主180
桑野定五郎理事石炭商1,894
富士本龍之助理事醤油醸造業1,423
木村鉄太郎理事  
山本紋治理事酒醸造業3,796
米原七兵衛理事地主 
竹内鉄三理事陶器商2,850
松浦彦郎理事呉服商5,340
井上平治理事履物商1,026
小柳六根太郎理事麺類製造1,580
大池千太郎理事醤油醸造業、地主2,019
橋本新次郎理事旅館1,000
森淵宣寛理事農業 
樽野豊吉理事駅売り1,215
亀山清太郎監事肥料商1,210
玉井美知穂監事醤油醸造、地主 
尾形千三郎監事薬種商、地主640
肥田五郎監事酒醸造業、地主3,770
白川栄治監事煙草、雑貨、地主630
出典:行橋信用組合「昭和二年事業報告書」
   職業、所得は「昭和二年度営業ヨリ生スル所得調査」

 同組合の業況を表17によって見よう。組合員数は順調に増加し、昭和一四年には創立時の二倍を超えた。この段階においても商工業者が多く、組合員全体の五〇%(八〇四人)を占め、農業者は二五%(四〇二人)を占めるに過ぎなかった。この組合員数は県下でも有数であったが、それ以上に同組合の貯金、貸付金規模は農村の信用組合としては県下一、二の規模であった。
 
表17 行橋信用購買販売組合の組合員数・諸勘定
(単位:人,千円)
項目昭和2年昭和6年昭和8年昭和10年昭和12年昭和14年
組合員数7009991,0291,2351,3851,608
有価証券37106155317
預け金35192336191413791
貸付金82351333439502519
当座貯金貸越15119129147150154
出資金495560626475
準備金1915202530
貯金905617238331,1831,854
借入金4436142218
剰余金381091010
出典:行橋信用購買販売組合「業務報告」各年度

 その貯金、貸付金の趨勢を見ると、昭和六年頃まで貯金貸越を含む貸付金は大きく増加したが、以後次第に停滞している。昭和恐慌期に貸付金が伸びたのは資金調達に苦しんでいた小商工業者の資金需要のためであったと考えられ、昭和一〇年以降の減少は経済統制の進展とともに小商工業者の資金需要が減少していったことを示しているといっていい。一方、貯金は一貫して順調に増加し、昭和一〇年以降になると同組合は貯金吸収機関化していることがわかる。貸付金の停滞によって生じた多額の余裕金は預け金や有価証券に振り向けられていった。
 購買販売事業の状況を見ると、表18に示したようになる。米穀の受託販売高は昭和八年にピークを迎え、金額にして二八万円を記録した。昭和六年には販売高は県下信用組合で最も多かったことが、『業務報告書』に報告されている。農家組合員の米穀はほとんどが同組合を通じて販売されたと思われるが、販売量そのものは次第に落ち込んでいる。旱魃などの影響があったとされているが、戦争の影響も徐々に出始めたのではないかと考えられる。購買事業は専ら肥料の購買である。順調に増加しているものの、これも経済統制の影響を受けて次第に入手困難となっていったようである。
 
表18 行橋信用購買販売組合の購買・販売事業
年次受託販売高購買
 小麦
 
昭和6年192,16722,4316,282
昭和8年281,82626,9006,42920,299
昭和10年219,00714,9557,68942,201
昭和12年180,5549,2946,41146,751
昭和14年144,82911,6136,48560,350
出典:行橋信用購買販売組合「事業報告書」