こうした政府の政策のほか、農民運動の高揚に対して、地域でも様々な対応策がとられ、地主小作の融和組織などが設立された。大正一一年に設立された大橋農業親和会もその一つである。大橋農業親和会設立の狙いを設立呼びかけの文書は次のように述べている。
近来全国各地ニ於テ小作問題頻発シ国家ノ為メ深憂ニ堪ヘサル次第ニ有之候本件ハ独リ農業ノ前途寒心ニ堪ヘサルモノ有之候而已ナラス町村自治ノ根底ニ及ホスモノ尠カラサル儀ニシテ地主小作人間ノ親善融和ヲ図ルハ刻下ノ最大急務ニテ双方ノ協調機関設置ノ必要ヲ認メ候ニ付僭越ナカラ不肖等地主側ノ委員トシテ行橋町農会長ヲ介シ縷々交渉ノ末小作人側ノ要望ヲモ参考シ別紙草案ヲ以テ大橋農業親和会組織致度存候
地主・小作間の協調・融和を目指したこの親和会の設立を主導したのは、町長であった徳田伊勢次郎(行橋町農会長)と大橋地域の大地主たちであった。同会はその目的を達するために、農業の改良と発達、農業者の福利増進、小作米の減免の解決、肥料購入費貸付、耕地宅地購入斡旋、産米改良などの事業を行うとしている。役員は正副会長を各一名、評議員二〇名、地方委員一一名、監事若干名、顧問若干名からなっていた。会長には行橋町農会長(徳田伊勢次郎)を充て、副会長は評議員から互選された。評議員は本会の事項を議決するものとされ、地主側総会及び小作人側総会でそれぞれ一〇名ずつを選出するとしている。地方委員は下正路上組、同下組、寅新地、大新地、金剛丸上組、同下組、大道、下道、津田、前荒堀、向荒堀の各区の小作人からそれぞれ一名を選ぶこととした。
議決機関である評議員会を構成する評議員には、地主側から米原七兵衛、白川隆二、白川重憲、広瀬正和、福島栄蔵、尾形千三郎、肥田源太郎、富永方成、小野英敏、柏木勘八郎らの大地主か就いた。彼らの互選によって、柏木勘八郎が副会長に選ばれた。
同会は大橋区に耕地を所有する地主と行橋町に住所を有するその関係小作人によって組織され、小作人は当初一三四人参加し、地主は確定できないが関係地主はほとんど参加したようである。
同会の主要な活動として、蓄積金制度、肥料購入貸付、小作米減免交渉をあげることができる。蓄積金制度は小作が地主に納入する小作米の二・五%(計画では三%)を現物で蓄積し、地主も小作米に比例して相応の蓄積をなすこととし、両者をあわせ、耕地・宅地の購入資金や耕牛馬の購入資金として、また凶作の際小作米を完納できなかった場合に低利に貸し付ける制度である(第17条、19条)。肥料購入貸付は地主の資金によって肥料を一括購入し、これを肥料代調達困難な小作人に貸し付けるというものである(第23条)。大正一一年度は六一五〇円を限度として貸し出され、利子は七%とされた(大橋農業親和会「肥料購入資金出金及貸付方法」)。
小作米減免交渉については、地主と直接交渉をしないことが規定され、地方委員に申し出ることとされた(第27条)。小作地の引き上げについても規定し、小作米や肥料代金を期限内あるいは指定の期限内に完納しなかった時には、評議会の決議をもって小作地全部を返還させるとしたのである(第28条)。また、小作米の納入を怠り不都合の行為があった場合には、評議会の決議をもって除名することができ(第33条)、除名された小作人は評議会が決議しない限り小作をさせないとした(第30条)。
以上の規定を見る限り、同会は農民運動の高揚に対して、地主側が組織的に小作料交渉などに対応するための組織であったと考えられよう。