地主の動向

122 ~ 124 / 840ページ
 大正昭和期の地主の動向を見てみよう。まず京都郡地主の趨勢を見ると、表22のようになる。これによると、地主(三町歩以上土地所有者)数は大正九年から比べると大正末期にかなり減少するが、昭和初期にはむしろ増加しており、昭和一〇年までほとんど減少していない。大きく減少するのは昭和一〇年以降である。大正期次第に地主数が減少するのは、前掲図6で見たような小作料率の低下と小作米価格の下落によって、小作地から得る収入が大きく減少してきたからであった。地主は明治末期頃から小作料収入を土地投資などにあまり振り向けないで、株式などの有価証券投資を行っていった。土地投資よりも有価証券投資のほうが有利であったからである。とくに大地主層にはこうした傾向が強かったといっていい。
 
表22 京都郡における地主数の推移(単位:人)
年次3町以上5町以上10町以上50町以上合計指数県50町以上
大正4年2701177054629570
大正9年27513767648510081
大正14年2231145553978270
昭和5年2591266854589460
昭和10年2781095254449261
昭和15年20110714563597457
出典:『福岡県統計書』

 昭和五年前後に再び地主数が増大したのは、不在大地主層による売却地が一町歩以上所有している自作農上層や中小地主層に分散所有されたためであった、と考えられる。有価証券投資を行うほど資産を持たない中小地主や自作農上層は、収入の減少を経営の拡大によって補おうとし、小作地を返還させて自作したり、営々と蓄えてきた資金で土地を購入するなどしたのである。しかし、昭和五年以降の長期不況は地主経営をますます不利なものにし、中規模地主層を中心に土地所有を減少させていったのである。
 同表によって地主の構成を見ると、大部分が三~五町の土地を所有する中小地主であったが、京都郡には五名の五〇町歩以上所有する大地主が存在する。大正一四年福岡県の郡市別の大地主数は三井一二名、浮羽一〇名、山門七名、三潴・京都五名となっており、京都郡は福岡県では大地主が多い地域であったと言えよう。行橋地域の大地主を示しておくと、表23のようになる。京都郡の大地主五名のうち三名が行橋地域の地主であること、陣山家が頭抜けて巨大であることがわかる。
 
表23 10町以上地主一覧(単位:町)
町村名氏名職業所有反別自作反別小作人数
今元村陣山為義172.20620
行橋町柏木勘八郎ナシ70.76150
行橋町福島貞次郎ナシ51.35180
行橋町米原喜六ナシ46.00140
今元村有門亀太郎36.880.60110
蓑島村中原保治公吏34.27101
行橋町草野憲治ナシ28.9880
行橋町佐藤伝太ナシ24.9670
稗田村平田菊太郎23.200.6049
稗田村片桐稔22.101.2069
今元村守田鷹太教員21.8365
椿市村沼口七太郎20.700.7070
今元村浜田左右一20.5351
行橋町富永方成ナシ20.0264
椿市村沼口才市19.891.3065
今元村角田政蔵公吏19.3430
行橋町大橋區 18.3380
行橋町福島八三郎ナシ18.1660
今元村陣山文教信用組合長17.3940
行橋町小松幸吉16.8670
延永村蔵園十太郎16.242.4515
今元村中島恍次郎15.480.8040
稗田村吉兼義信地主15.3031
行橋町肥田源太郎酒造15.1751
延永村宮崎才一郎15.0420
行橋町米原七兵衛ナシ15.0460
今元村奥田継三14.8024
泉村上村虎夫地主14.6524
行橋町白川重憲ナシ14.3565
行橋町玉井美智穂醤油14.1253
今元村千田太一郎酒造13.2440
延永村森上格12.662.4315
行橋町奥知八郎ナシ12.6145
今元村有松村平12.2030
今元村浜田功酒造11.9623
行橋町尾形千三郎11.7638
今川村岡田英一11.2030
行橋町福島栄蔵ナシ10.8970
今元村則松隼人10.7930
椿市村馬場千代10.691.1050
稗田村竹下保教員10.100.4020
出典:「耕地三町歩以上所有者名簿」昭和6年

 これらの大地主はこの時期次第に土地投資を消極化させ、非農業分野に資産を振り向けていったことはすでに触れたが、彼らがどのような事業に投資し、また経営者になっていったかについては工業の項目を参照していただきたい。