この時期、地主小作関係も大きく変化した。政府が食糧増産のために地主小作関係に介入してきたからである。食糧増産を図るためには耕作者の立場を強化する必要があったから、政府は小作人の耕作権を強化する一方で、自作農創設維持事業を促進した。すなわち、政府は「農地調整法」(昭和一三年四月)を制定して、地主がこれまでのように自由に土地取り上げができないようにしたり、「自作農創設維持補助助成規則」(昭和一二年一〇月)を公布して自作農創設維持事業を拡大したのである。また、昭和一四年一二月には「小作料統制令」を公布し、小作料の引き上げ停止と小作料適正化を図っている。さらに昭和一六年産米からは、地主の受け取る米価は生産者の受け取る米価よりも石あたり五円安くされた。また、同年九月には、地主が小作米として取得した米も在村地主の自家保有米を除いてはすべて国家管理の下に置かれ、出荷も小作が行ったから、地主は低価格で売却された代金を受け取るだけの存在となった。
以上のような国家の介入によって、地主の経済的地位は戦時経済統制の下で大きく後退していった。