明治二四年に福岡県が制定した魚市場規則は、卸売市場を対象としたもので、漁業組合や漁業組合連合会の共同販売所には適用されなかった。産炭地など大消費地を抱える福岡県には、大正一五年頃に八七カ所の水産物販売機関があった。これは、個人魚市場と漁業組合の共同販売所を足した総数である。こうした市場濫設の傾向を是正するため、大正一五年に県は魚市場規則を改定し、①取引改善、②買受人(仲買や小売)許可制度、③一地区一カ所の市場設置(知事認可制)を示した。また、個人魚市場の廃滅を企図して、株式会社と漁業組合共同販売所のいずれかに転換させることとし、水産物販売機関の再編を図った。
大正末期に蓑島村では、買受人の間で問屋を市場から排除しようとする運動が発生した。また同時期に県が販売機関の再編方針を打ち立てたことから、村は問屋が共同経営する魚市場を村営魚市場とすることにした。魚市場の村営化は、漁業組合員である漁業者ほか、大多数の村民の支持を得て、大正一五年に問屋共同経営の魚市場は、蓑島村漁業組合共同販売所となった。市場運営の円滑化のために問屋が行っていた、買受人や漁業者に対する営業資金の貸与といった関係は消滅した。しかし旧問屋を交えた頼母子講は続けられ、村民にとって重要な金融行為であった。