行橋草野銀行の設立と廃業

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 行橋に本店を設けた銀行は第八十七国立銀行のほかにもう一行存在した。行橋草野銀行がそれである。同行は国立銀行と違って「銀行条例」(明治二三年制定、二六年施行)に則って設立された普通銀行である。
 
写真15 かつての草野銀行の建物(昭和33年撮影)
写真15 かつての草野銀行の建物(昭和33年撮影)

 政府は当初国立銀行以外「銀行」名を名乗ることを認めなかったが、銀行類似の営業をすることは規制しなかったので、銀行類似会社が次々に設置された。そして、これら金融機関が銀行業の開設を望んだため、国立銀行条例の改正を契機に民間の金融機関にも銀行名を名乗ることを認めたのである。こうして、国立銀行の設立が認められなくなって以降私立銀行が増大した。しかし、これら銀行を規制する法律が未だ整備されていなかったし、国立銀行を普通銀行化する必要からも、銀行に関する法的整備が必要であった。こうして、明治二三年、銀行条例が制定された。なお、預金者保護の観点から、貯蓄銀行業務については貯蓄銀行条例を制定して、貯蓄銀行以外その事業を営むことを禁じ、資金運用や貯金払い戻しの保証など厳しい規制を設けた。しかし、同条例は銀行業者の要求によって施行二年後には改正され、運用に対する制限は一切なくなっている。
 さて、行橋草野銀行は明治三二年三月、資本金一五万円で設立された。銀行条例は株式会社でなくとも銀行設立を認めており、同行は福岡に三行あった個人銀行の一つであった。銀行名は設立者草野文治の姓からとったものである。同年福岡に存在した八四行の平均資本金が一一万七〇〇〇円であったから、資本金規模の点では平均より大きい銀行であったと言えよう。
 設立者の草野文治は行橋の大地主であり、叔父の草野信吉は福岡県会議員であった。この時期彼の土地所有がどれほどであったのかは確認できないが、大正一三年の農商務省農務局「五十町歩以上大地主」調査によれば、草野文治は五〇・二町を所有している。ちなみに、当時行橋町で五〇町歩以上を所有していたのは、彼以外には柏木勘八郎(五六・八町)と福島貞次郎(五三・八町)だけであった。明治三三年の『福岡県一円富豪家一覧表』によれば、彼は県下では安川敬一郎、松本潜、麻生太吉、野村久次(福岡、古着商)、柏木勘八郎、国武喜次郎(久留米、絣商)らとともに、平岡浩太郎(福岡、石炭業)に次ぐ高額所得者とされている。この所得源泉が明らかではないけれども、小作料収入に依拠する一方で、貸金業を営んでいたと考えられる。いずれにせよ、屈指の資産家の彼や彼の一族が、当時設立ブームのようになっていた銀行業に進出するのは当然のことであったと考えていい。
 行橋草野銀行の経営を表43によって見てみよう。同行の預金は終始資本金を超えることはなく、最大の資金源泉は資本金であった。資金運用を見ると、貸出金は増加しているものの、明治三二年から三八年まででわずか八万円強増加したに過ぎない。同行の資金運用で奇妙なのは貸出金に匹敵するほどの不動産投資が当初からあることである。この土地所有がどのような性格のものか定かではないが、小作料収入を当て込んでいたことも考えられる。「門司新報」によれば、明治三五年の同行の収入は利息収入一万二一三円、割引収入一五二八円のほかに、「その他」収入が一万三〇一九円あった。前二者が貸出金の貸付金と割引手形に見合った収入であるとすれば、この「その他」の収入は八万円の所有不動産からもたらされたものであったと考えられよう。その詮索はともかく、行橋草野銀行は実態としては自己資本の貸付を専らとする貸金業に近かったと考えられる。利益も上がらず、明治三六年以降積立金を計上するのをやめてしまって、行主収入を多くしていることが同表からうかがえる。それでも行主収入は投資額(資本金)の三%がせいぜいであった。明治三九年三月、同行は中津共立銀行に営業を譲渡し廃業した。
 
表43 行橋草野銀行の主要勘定(単位:円)
科目明治32年明治33年明治34年明治35年明治36年明治37年明治38年
資本金150,000150,000150,000150,000150,000150,000150,000
積立金2,00012,00019,50021,000000
預金19,78923,40130,33065,79680,07597,019138,154
他店より借20,97230,97212,7984,3882,1613,6993,187
当期純益金8,1528,35111,1775,1557,2978,14310,243
貸出金77,390100,318104,636114,819115,413133,891165,221
有価証券22,73724,67023,63619,48321,03823,19625,634
他店へ貸4,7001,9211,0911,3242,5103,1128,757
所有物地所建物81,60080,00080,00080,44180,44180,44180,441
金銀有高7,62210,9907,67723,25716,43914,52812,838
行主収入2,5004,0005,0003,5005,0005,0004,000
出典:「門司新報」各年度末決算公告
備考:明治34年、資産合計は原資料のままとした