その他の製造業・工業

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 行橋市域においては、醸造業と後に見る行橋電灯、明治紡績、行橋製氷を除いては、大規模な製造業や工業はない。大正九年に丸天石鹸株式会社が設立されるが、詳細は不明である。
 「町勢要覧」を見ると、大正末期には行橋町内で、酒・醤油の他、味噌・瓦・傘・清涼飲料・畳・提灯・麺類・石灰・鉄筋コンクリート電柱・タドン・飴・麩などが製造されているが、昭和期になると、わずかに清涼飲料と味噌が取り上げられるにすぎない。
 昭和前期の市域の製造業を『京都郡町村名鑑』(昭和六年)と『豊前大鑑』から概観しておこう。かなり盛んであったと思われるのは製菓業と染色業である。京築製菓聯合組合には行橋町三九、今元村五、今川村一、仲津村一、計四六名が加盟しており、京都郡染色同業組合には行橋町一二、今元村一の加盟者があった。食品業では、他に清涼飲料業の大池千太郎と青木市郎、パン製造の岩崎商店、進製パン所、製麺業の小柳文太郎、高木国太郎、味噌製造の山本徳一、精米業の行比、飯山、井上、加来、寺本、藤井、宮崎などがある。工業では諸機械製作の竹内鉄工所、鉄筋コンクリート電柱製作の長谷川電柱製作所がある。貯米器製造の松本製作工場、傘提灯製造の米田商店や寺本製綿工場は伝統的技術によったものであろう。行橋町以外では唯一、仲津村に川本煉瓦工場がある。印刷業は組合を組織していないが、行橋町で古槇、村上、中、長野、行橋、泉活版印刷所と富士石版印刷所の七印刷所を数えることができる。
 しかしこうした製造業、工業はいずれも小規模で家内工業的なものであった。