主任技術者は明治四三年一一月一日付けで岡積重輔が採用された。岡積は前年まで毛利家経営の田川郡金田炭鉱の電気主任技術者であったから、おそらく毛利家と関係の深い社長柏木が招いたものであろう。
設備は表51のとおりである。これらはすべて旧小倉電灯から譲り受けたものであることは前に記した。表51の六〇KW発電機についても、「門司新報」(大正元年八月二三日)は、
行橋電灯株式会社は従来百廿基(キロ)の発電機にて電力を供給し来たりしも、近来町内の需用増加、町外線の延長等にて発電機増設の必要に迫り、曩(さき)に旧小倉電灯会社の六十基の発電機を買収して目下据付工事中なるが、今月中には竣工の筈にて、其上は豊富なる需用に対し遺憾なきを見るに至るべし……
と、小倉電灯のものであったと報じている。
表51 初期の設備(大正元年) | ||||||
発電機 | 単相交流 | 120KW | 1個 | 2200V | 133ヘルツ | 米ウエスチングハウス社製 |
同上 | 60KW | 1個 | 2000V | 100ヘルツ | 芝浦製作所製 | |
原動機 | 208馬力 | 1個 | 米アイドエンドソン社製 | |||
100馬力 | 1個 | 芝浦製作所製 | ||||
出典:『大正元年電気事業要覧』 |