供給区域の拡大と需要の増大

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 開業は公式には『電気事業要覧』や「第二回報告書」にあるように明治四四年五月六日であるが、実際は前日の五月五日に点灯したようである。五月七日付の「門司新報」は「愈々(いよいよ)試験を了し、一昨五日夜点灯を開始し、同町は為めに不夜城の観をなせり」と記している。
 開業当時の供給区域が行橋町内のみであったことは前に記したが、翌四五年三月の臨時株主総会では早くも定款を改訂し、延永村、小波瀬村、苅田村、今元村、蓑島村、豊津村、泉村の七カ村を加えた。さらに大正元年五月の定時総会で「福岡県京都郡一円及同築上郡椎田町、仲津村、八津田村、築城村、城井村」とした。
 
写真18 操業開始当時の行橋電灯(明治44年)
写真18 操業開始当時の行橋電灯(明治44年)

 電灯供給区域は表52に見るように拡大し、明治四五年四月一日には行橋駅に点灯を開始し、電灯供給数も表52のように着実に増加した。
 
表52 電灯数の増加
年月電線延長電柱電灯備考(供給区域)
m10燭換算
明治44.512,321921,136開業後1カ月、行橋町
明治45.513,4411061,600行橋駅点灯4月1日、
大正2.565,3254702,019苅田村・小波瀬村・今元村・延永村・八津田村
大正3.592,3578473,201泉村・豊津村・椎田町・築城村・蓑島村・仲津村 電灯料値下げ4月より
大正4.5130,6519364,132西角田村
大正5.5164,6011,1546,076角田村
大正6.5291,5511,8037,117今川村・葛城村・下城井村・稗田村・節丸村・城井村・祓郷村 電灯料値下げ1月より
大正7.5300,7221,8977,874 
大正8.5376,3452,29810,796 
出典:各期「報告書」
注:備考欄の供給区域については「電灯電力供給区域明細表」(『九州水力電気株式会社二十年沿革史』)による

 『電気事業要覧』によって電灯を燭光別に見ると、大正元年、全取り付け数一五一四灯のうち、一六燭光が八〇六灯と五三%を占め、一〇燭光が三八三灯、一〇燭光未満が三〇六灯、二〇燭光以上が一九灯であった。他の地方電灯会社と比較すると、一六燭光以上が多いのが特色である。おそらく電灯が単なる家庭用というより、大橋・行事を中心として店舗用として使用される割合が高かったのであろう。
 もちろん電灯供給の拡大が順調一方であったわけではない。「事業報告書」には多くの停電が記載されている。開業一年後の四五年四月には、機械の大破損のため二週間の休業を余儀なくされ、大正六年二月には強烈な風雪のため数日間営業停止に追い込まれた。七年一月には一部の区域で一八日間も停電した。これら以外にも小さな停電は数多くあったであろう。こうした事故を乗り越えて供給数は拡大したのである。