買電への転換と経営

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 供給区域の拡大と需用の増大のため、一二〇キロワットと六〇キロワットの発電機では供給能力が不足し、新たに設備増強が必要となった。また大正元年の行橋電灯の電灯料金は、炭素線電灯定額で五燭光が七五銭、一〇燭光が一円、一六燭光が一円二五銭であったが、五燭光は福岡県内で最も高く、一〇燭光も最も高額の部類に入っていた。ちなみに明治四四年の一〇燭光料金は一円一〇銭であったが、これは全国で最も高かったのである。この電灯料金の値下げが重要な課題であった。門司市では四四年九州電気軌道に対し、激しい値下げ運動が起こっていた。
 こうした問題を解決するために、行橋電灯は大正三年に火力発電を停止し、大分水力電気株式会社(大分水電)から買電することを決定した。大分水力電気は同年大分郡谷村に二〇〇〇キロワットの篠原発電所を完成したので、四年四月七日からこの電力を購入することとした。
 大分水電は、大阪の才賀電気商会の才賀(さいが)藤吉を社長とし、明治四三年に設立された大分市に本社を置く資本金一五〇万円の会社であった。京都電灯中津支店の後身中津電気をはじめ、佐賀関、佐伯、津組、宇佐の各電気会社を合併し、大正三年当時、築上郡東吉富村まで供給区域としていた。しかし大分水電は大正五年三月に九州水力電気株式会社(九水)と合併したため、以降は九水からの買電となった。
 行橋電灯は、安価な水力発電による電力の買電により直ちに電灯料金の値下げに踏み切った。その経過と電灯料は表53の通りである。また昼間余剰電力を利用して、大正五年三月から動力用電力の供給を開始した。しかし電力需用はそれほど大きくなかった。最大の供給先は大正八年からの明治紡績行橋工場へのものであった。
 
表53 電灯料金の推移(単位:銭)
5燭光10燭光16燭光備考
明治44 110 炭素線電球
大正元75100125
  36080120
  5556585金属線電球
  7506080
出典:各年『電気事業要覧』

 大分水電からの買電という経営戦略の転換には、当然ながら社内でも激しい論議があったようである。大正四年六月に監査役の海保芳吉が、九月には取締役の妹尾万次郎が辞任した。二人とも旧小倉電灯の役員であったことは前記したが、妹尾は九水と激しい市場競争をしていた九州電気軌道株式会社の取締役を兼任していた。大分水電は九水の影響下にあったから、二人の辞任は大分水電からの買電が原因であったろう。海保の後任はいったん桝見茂平がつないだあと、冨永熊彦が就任し、妹尾の後任に桝見が就任した。いずれも行橋町の有力者であった。
 財務状況を表54にまとめた。五〇円株の払い込みは七回にわたって行われた。「株金払込通知書」によると、第五回は前年一時借入金によって椎田方面への供給工事を行ったのでその返済のため、第六回については、
 
水力電気ヲ需用スルコトニ決シ、同年来之レカ設備ニ要セン費用ハ一時借入金ヲ以テ支弁致居候ニ付、今回之レカ返済用并ニ諸方面ニ於ケル拡張費、及灯球全部「タングステン」ニ取換ニ費用等支弁ノ為メ

 
とされている。とりあえず一時借入金によって設備の充実と拡充を図り、その後の株金払込みで借入金は直ちに返済された。
 
表54 財務状況(単位:円)
年度資本金株式払込収入支出利益金配当金年配当率
点灯料電力料石炭代買電料
 100,00012.5      (%)
明治44上100,0005.0756 376 706  
  44下100,000 6,157 2,997 341 5
  45上100,0005.07,112 2,843 1,041 5
大正元下100,000 8,829 2,620 2,9731,8008
  2上100,0004.59,798 2,981 2,5781,8008
  2下100,000 10,821 2,968 3,6852,70010
  3上100,0008.012,387 4,313 3,8492,88010
  3下100,000 15,036 3,646 6,4553,50010
  4上100,0008.016,511 2,9958396,2193,50010
  4下100,000 17,301 172,7969,2544,72911
  5上100,000 21,072753 4,31111,2305,06012
  5下100,0007.023,3361,147 4,74112,0026,00012
  6上200,00012.523,588299 4,05812,3776,25012
  6下200,000 25,870479 4,17314,6527,50012
  7上200,000 25,412706 4,09213,5558,12513
  7下200,000 28,0331,849 5,08215,4958,12513
  8上200,000 33,6114,460 10,28619,1138,12513
出典:各期「損益計算書」
注:株式払込の年度は、その年度中に払い込みが決定されたことを示す

 火力発電時代、石炭代が収入に占める割合が最も低かったのは大正三年下期の二四・三%であった。これに対し買電料を見ると、大正八年上期の突出の原因は調査の必要があるが、それ以前は二〇%以下となっている。こうした経営により、利益金は火力時代においても五年下期まで順調に増加し、買電以降も安定的に推移した。
 年配当率も買電後は一割を超え、七年以降は一割三分を配当している。大正期のわが国の電気事業の配当率は一割二分が一つの目安となっていたから、行橋電灯の経営は順調であったと言える。