昭和一一年の行橋工場

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 行橋工場の設備の変化と従業員や生産量の推移を詳細に明らかにすることは史料的に困難である。しかし昭和九年と一一年末の状況を示す文献がある、大きな相違がないので一一年の状況を見てみよう。敷地は四万三〇〇〇余坪で設立時のままであった。三万坪の戸畑工場よりも広大で、行橋工場に明治紡績の将来が期待されていたことが分る。
 表55によると、紡織用原糸を自給するために昭和七年から設置された精紡機械は、一一年末では四六台およそ二万錘であったが、この時八二台三万錘が増設中である。同時に撚糸機四〇台も増設中であり、「行橋工場に紡績工場の増築を行ひ目下精紡機、撚糸機増設工事進行中」といわれている。それにもかかわらず原動機は戸畑工場の電動機が増設中となっている。おそらくこれは行橋工場の誤りであろう。製品は、三〇番手、六〇番手の綿糸で、三〇番手の単糸を主としていた。
 
表55 行橋工場の主要設備
 行橋工場戸畑工場
 (坪)(坪)
敷地43,47530,527
工場建坪5,6617,187
附属建物8834,680
精紡機46台19312錘199台78696錘
(増設中)82台32800錘  
撚糸機  72台31680錘
(増設中)40台21504錘  
瓦斯焼機  9台1004錘
三幅織機339台   
蒸気機関  1台500馬力
電動機85台853馬力294台3111馬力
(増設中)  164台1540馬力
出典:「福岡県工場鉱山大観」福岡県鉱工聯合会、昭和12年

 行橋工場の従業員数は、職員九名、職工男一一〇名、女二六九名合計三八八名である。職工数を戸畑工場と比較すると、男性工員はほぼ同数であるが、女性工員の比率は低く四分の一弱にすぎない。これは行橋工場がなお紡織工場中心であったからであろう。