表56 株主一覧(大正14年) | |
100株 | 柏木勘八郎、米原七兵衛、福島貞次郎、肥田源太郎(以上行橋町) |
70株 | 桝見俊英、寺本清次郎(以上行橋町) |
60株 | 玉井美知穂、玉井徳太郎(以上行橋町) |
50株 | 泉武二、徳田伊勢次郎、銅崎格市、大池千太郎、玉井英夫、中逎新蔵、桑野定五郎、山本紋治、小柳六根太郎(以上行橋町)岩本元吉、柏木丈之助、村上鷹次郎(以上犀川村)木村知治(久保村)和田鎌二、小島栄太郎(以上苅田町)増田泰吉、増田鉄太郎(以上小波瀬村)則末新治(小倉市)中山半(大阪市) |
40株 | 柏木小五郎(犀川村) |
30株 | 米原七之助(行橋町) |
25株 | 肥田五郎(行橋町)守田鷹太(今元村)木村秀卿(黒田村)長沼庄市(伊良原村) |
20株 | 田原八郎、山田繁蔵、小松健治(以上行橋町)中島末太郎(今元村)平田菊太郎(稗田村)松井与平次、大松茂六(以上小波瀬村)木村剛三郎(久保村) |
15株 | 改正音吉、山崎角太郎(以上行橋町)中村大三郎(犀川村) |
10株 | 飯山善次郎、岩井駒之助、浜田亀蔵、小田治良吉、小野英敏、鬼丸民助、大池サダエ、米谷直一、吉田勝三郎、吉川深、玉江清太郎、長野常雄、中里久次郎、山田種市、福島八三郎、富士本龍之助、小柳文太郎、三宅啓太郎、広谷昇、末松忠平(以上行橋町)浜田延吉、奥田継三、角田段蔵(以上今元村)米谷茂市(蓑島村)羽広幸六(苅田町)増田音五郎(小波瀬村)西新平、渡辺助太郎、吉川正己、中上森蔵(以上犀川村)加藤憲一郎(白川村)木村彦一郎(黒田村) |
5株 | 因間仲右衛門、生田虎三、泉勝平、橋本新次郎、富田節太郎、小串熊吉、加来源助、亀山清太郎、米原善六郎、玉江東五郎、中原仁六、村上槌夫、村野重平、矢永武市、安広伴三、菊野吉太郎、三宅豊太郎、三宅重太郎、三津木常吉、白川重憲、白川栄治、進友一、肥田藤市、久冨長之助、肥田一郎(以上行橋町)千田太一郎(今元村)平井作市(延永村)井上新司、本松暉貴、片桐虎吉、吉兼浜太郎(以上稗田村)大石高平(椿市村)加冷隆治、高倉信久(以上城井村)秋丸与一郎、栗山祐次郎(以上久保村)村上代助(豊津村)中村憲一郎(諌山村)土居正義(戸畑市) |
合計 2500株 115名 | |
出典:「株主人名簿」行橋製氷冷蔵株式会社 |
株主分布状況を見ると、京都郡以外は小倉、大阪、戸畑の三名一〇五株にすぎない。行橋町は六九名、一五八〇株を占め、現在の行橋市域の今元村六名八〇株、稗田村五名四〇株、蓑島村一名一〇株、延永村・椿市村各一名五株を加えると、合計八三名一七二〇株と圧倒的多数を占める。市域外では、犀川村九名二四五株、小波瀬村五名一五〇株、苅田村三名一一〇株が目をひく程度である。
役員は、
社長 肥田源太郎(酒造業、町会議員)
専務取締役 玉井美知穂(醤油醸造業、後に町会議員)
取締役 桑野定五郎(三井物産石炭特約販売、度量衡商、町会議員)
米原七兵衛(呉服商、町会議員)
大池千太郎(醤油醸造業、ラムネ製造業、後に町会議員)
柏木丈之助〈犀川村〉
監査役 山本紋治(町会議員)
増田泰吉〈小波瀬村〉
小柳六根太郎
で、玉井が経営の中心であったと思われる。柏木と増田はそれぞれの地域株主の代表であったのだろう。
右の役員と大株主からうかがえるように、行橋製氷は行橋町の商工業者と町会議員である有力者を中心に発起設立された企業であった。また株主の構成や分布から明らかなように、まさに行橋町の企業であった。