香春-新町間の県道は昔から山越えの難所で、仲哀天皇が熊襲征伐の時、この峠を通ったので「仲哀峠」という地名がついたという伝説がある。明治一七年から六年がかりでトンネルが掘られ、交通の便が開けた。
この仲哀トンネルの工事について大正八年に刊行された『京都郡誌』には「仲哀谷隧道は京都、田川二郡の界なる七曲峠にあり、二郡の共同事業として、明治一七年二月一七日工事を起し、二二年七月に略(ほぼ)竣工し、廿三年一〇月一八日開通式を挙げ、幅一二尺、高九尺、長二四〇間あり(京都郡九九間四尺、田川郡一四〇間一尺)工費弐万参千八百八拾円参銭参厘、隧道の前後新道参千七百参拾四間は、県の工事に係り、費用弐万余円に及び当時著名な大工事なり」と書かれている。
また、『京都郡誌』の道路の項には、当時の道路事情が次のように記されている。
道路の主なるもの、小倉より大分県に通ずる国道、嘉穂郡飯塚より大分県中津に至る県道、行橋町より田川郡香春に通ずる県道、及び行橋町より今元村沓尾港に通ずる県道あり
小倉方面より大分県に通ずる国道は、苅田村、小波瀬村、行橋町、泉村、今元村、仲津村を経、築上郡の界に連絡す
嘉穂郡飯塚より大分県中津に通ずる県道は、久保村仲哀隧道に起り、稗田村、今川村、豊津村、祓郷村を経、築上郡八津田村に於て国道線に接す
行橋町より田川郡香春町に通ずる県道は、行橋町国道線より分岐し、延永村、黒田村、久保村に於て飯塚より中津に達する県道に接す
行橋町より今元村沓尾港に通ずる県道は行橋町国道線より分岐し、今元村沓尾港に達す
小倉方面より大分県に通ずる国道は、苅田村、小波瀬村、行橋町、泉村、今元村、仲津村を経、築上郡の界に連絡す
嘉穂郡飯塚より大分県中津に通ずる県道は、久保村仲哀隧道に起り、稗田村、今川村、豊津村、祓郷村を経、築上郡八津田村に於て国道線に接す
行橋町より田川郡香春町に通ずる県道は、行橋町国道線より分岐し、延永村、黒田村、久保村に於て飯塚より中津に達する県道に接す
行橋町より今元村沓尾港に通ずる県道は行橋町国道線より分岐し、今元村沓尾港に達す