当時の行橋町長だった徳田伊勢次郎が書いた国道建設の記録には、大略次のように記されている。
産業道路として、昭和七年七月一五日に起工。北の小波瀬村界から泉村羽根木までの総延長二〇六四間(三・七キロ)が、昭和八年七月一五日に完成した。工費総額は三二万一八六四円。本町内における土地八、三八一坪の買収と、障害家屋七三棟の移転交渉は順調に成立した。行事浦川から今川堤にいたる六六一間(一・二キロ)は、町の将来を考えると車道と人道に分けた方がよかろうと、昭和七年六月一七日の町議会の決議を経て、二間七分(五メートル)の歩道部分の用地補償費(一三、〇〇〇円)は町が提供した。この区間は一〇メートルの車道に五メートルの歩道ができた。歩道には街路樹(プラタナス)を植えた。将来、街路樹が成長したら、見事な町並みになることだろう。道路の竣工祝賀式は昭和八年七月一五日、亀川橋の上で盛大に行われた