県道行橋-豊津線の改修

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 県道行橋-豊津線(現国道四九六号線)の改修工事が昭和九年度から一一年度にかけて行われたが、その事業の様子が『行橋市史』に次のように記されている。
 
 行橋-豊津線は京都郡内最遠の県道として、また三中学校生徒の登校の枢要道路に属し、交通量もっとも多く、幅員狭隘なるため、とかく自動車の事故多く、不祥事を出したる例乏しからず、随って此間の道路改修は急務中の急務なるが故に、県はまず昭和九年度において、行橋町地内における旧国道分岐点(京都高等女学枚前)より泉村界まで延長一五〇間に対し五千円(一二五〇円行橋町負担)の工費をもって、幅員三間六分、昭和九年一一月改修起工、翌一〇年三月竣功、爾来行橋界より豊津村まで五万円の工費をもって、昭和一〇、一一年両年度にわたり行橋地内と同一幅員に改修せらる。その地元負担金一二五〇〇円(五万円に対する二割五分)の調達困難につき、工藤亀太郎君(泉村)を伴い、昭和九年八月上阪、製鋼業中山悦治君の本宅を訪れて、一万円出捐の諒解を得、不足額二五〇〇円のうち五〇〇円は行橋町、一二五〇円は泉村、一二五円は祓郷村、六二五円は豊津村において分担したり。