昭和一四年の京都「郡内著名商店旅館料亭案内」には、九州合同バスが行橋営業所を宮市に置いて、行橋-小倉間と行橋-中津間の路線を営業しているとある。
ところで『福岡県工場鉱山大観』によると、昭和二年に飯塚市で設立された九州自動車株式会社の昭和一一年末の役員は、取締役社長永島伝太郎、専務取締役赤坂猛、取締役中尾松太郎・田原亀太郎・高松常吉、監査役梶原耕輔・重岡篤・辻田弘士であった。これは前記した豊前バス組合の組合員とすべて重なる。また豊前バス組合や昭和一二年になっての豊前バス株式会社の会議は、多く飯塚市吉原の九州自動車株式会社楼上で開催されている(「柴田治道資料」)。おそらく豊前バス株式会社は一三年末か一四年初めに九州自動車と合併し、九州合同バス株式会社となったのであろう。