筑豊自動車運輸株式会社は、昭和五年二月に資本金一〇万円で熊谷平治兵衛が創立した。大正中期、田川郡伊加里の小路金蔵が創設したバス路線を買収し、本社を田川郡伊田町に置いた。六年一一月には飯塚乗合自動車株式会社を合併し、本社を八幡市に移転した。
昭和一一年末、資本金五〇万円で、本社は八幡市熊手四一一番地、事務所は伊田町にあり、営業所は直方市、飯塚市、後藤寺町、添田町、行橋町の五カ所に置かれていた。行橋町の営業所は田町三四四の二番地にあったがいつ置かれたのかはわからない。
筑豊自動車は一一年末当時、主要路線六路線、路線延長一八四キロ、乗用自動車六五両、貸切自動車五両で営業している。主要六路線とは、
行橋-新町-伊田-下山田
行橋-新町-香春-直方
の二路線と、八幡-直方-飯塚、飯塚-大隈-後藤寺、直方-金田-添田、金田-小竹-新多である。
当時の社長は衆議院議員の高野喜六、専務は林田惣七郎(田川)、取締役は熊谷平治兵衛ほか四名であった。職員一七名、運転手七二名、車掌男二三名、女五二名、修繕工一〇名、合計一七四名という多数の従業員を擁するバス会社であった(『福岡県工場鉱山大観』)。