本免許状の下付

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 豊州鉄道会社は明治二二年八月七日に、行橋-四日市間の本線と行橋-今任間、今任-香春間および今任-添田間の支線、総延長四九マイル五チェイン(七八・五キロメートル)の仮免許を得、二三年一一月一九日に本免許状を下付された。本免許下付に至るまでには、田川郡伊田から添田までの路線をめぐって筑豊興業鉄道との間で激しい争いがあった。安場知事が井上勝鉄道局長官宛に提出した豊州鉄道に関する「鉄道布設本免許状下付願ニ付副申」に添えた「小官私見」は、豊州鉄道の目的や経営についてのあり方をも良く示しているので、一部を紹介しておく。
 両社間の争いは、
 
……協議調和ニ至ラス、県庁モ亦双方之間ヲ理解シ頻(しき)リニ調停ヲ試ミタレトモ、如何セン筑豊興業会社ハ先キニ測量計画ヲ完了シ、既ニ本願書ヲ呈出シタルヲ以テ自然先願者ニシテ、其田川郡ノ地ハ自己ノ占領地ノ如キ妄想ヲ固執シ、到底今日ノ状況ニテハ両社ノ間円滑ニ協議相纏リ候義見込無之候
抑(そもそも)豊州鉄道布設ノ目的タル京都郡行橋町ニ於テ九州鉄道線ニ接続スルヲ基点トシ、本線ハ大分県宇佐郡ニ貫キ、一ツハ行橋ヨリ分岐シ田川郡ニ支線ヲ通シ、該部ニ産出スル石炭ヲ運搬スルヲ以テ大主眼トス、故ニ本線ニ於テ出入相償ハサルモノアルモ支線運炭ノ利潤ヲ以テ本線ニ融通補給シ、豊前全州ハ勿論、延(ひい)テ大分県下ニ至ルマテ永ク鉄道ノ利便ヲ享受セシメ度希望ニ出テタルモノニ付、今ヤ筑豊興業鉄道会社自己ノ計画ニ固着シ、豊州ノ要求ヲ拒絶シテ伊田連絡之協議ヲ容レス、又其他ノ余地ヲモ割譲セサルトキハ、啻(ただ)ニ豊州支線ノ財源閉塞シテ本線ヲ支持シ能ハサルノミナラス、本社全体ノ経済上独立ノ見込無之、寧(むし)ロ鉄道布設ハ断念スルヨリ外他事有之間敷候……
(「鉄道院文書」第一〇門巻一八)

 
と述べ、鉄道局において裁定するように願い出て、前記の路線が許可されたのである。
 こうして当初計画を五〇万円増資して、資本金二〇〇万円の豊州鉄道株式会社が行橋町に設立された。名称の変更は同年公布された商法に従ったものである。