郵便制度の始まり

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 日本における近代郵便制度の始まりは、明治四年(一八七一)三月一日(旧暦)東京-大阪間の郵便取扱いの開始である。東海道筋六五カ所に郵便役所・取扱所が設置された。所要時間は七八時間であった。この制度が駅逓権正前島密の立案によるものであることはよく知られている。
 福岡県を中心としたわが国の近代郵便制度に関する優れた文献として、高田正男「明治前期福岡県郵便史」(上中下、『福岡地方史談話会会報』第五・六・七号、以下「郵便史」とする)と藤井信幸「近代的通信事業の創業と福岡県」(『福岡県史 通史編 近代産業経済(一)』、以下『福岡県史』とする)がある。ここでは主としてこの二つの文献によって、わが国の新式郵便制度と明治初期の福岡県(旧小倉県を含む)の郵便制度について見る。
 郵便制度整備の目的は、公用通信の迅速化と料金の低額化を図ることだけではなく、経済面で全国を一つの市場にすることにあったといわれる。東京-大阪間が開設されると、すぐに明治四年一二月五日、大阪-長崎間の線路が開設された。長崎までの線路がこのように急がれたのは、そうした目的に加えて、デンマークの大北電信会社が同年六月に長崎-上海間、一一月には長崎-ウラジオストック間に海底ケーブルを敷設し、長崎が東アジアに対するわが国の通信の窓口となったからであった。
 九州における最初の線路と郵便取扱所は、次のように長崎街道とその主要宿場に置かれた。
 豊前国企救(きく)郡小倉-筑前国遠賀郡黒崎-鞍手郡木屋瀬-穂波郡飯塚-同郡内野-御笠(みかさ)郡山家-肥前国養父郡轟木-神埼郡神埼-佐賀郡佐賀-藤津郡嬉野-彼杵郡彼杵-同郡大村-高来郡永昌-彼杵郡長崎
 そして枝道として次の四線が置かれた。
 筑前国御笠郡山家-早良(さわら)郡福岡
 肥前国佐賀郡佐賀-同郡蓮池・小城郡小城・杵島郡成瀬