行橋郵便局の沿革

229 ~ 230 / 840ページ
 明治六年の行事郵便取扱所の取扱人は進祐造であった。この時、小倉郵便役所でさえ、取扱人の自宅を仮役所としていたので、おそらく行事も進の自宅が取扱所であったろう。進の人物については明らかでないが、進は松江(現豊前市松江)の取扱人をも兼ねていた(「郵便史」)。
 行橋郵便局の沿革に関しては、中原征治「豊前国郵便変遷と行橋郵便局沿革」(『合本美夜古文化』第二集所収、以下「沿革」という)という詳しい研究がある。ここでも前二つに加え、主としてこの文献によって行橋郵便局の発展を見る。しかし、「沿革」の表については出典が明記されていない。おそらく参考文献にあげられた行橋郵便局「業務沿革要録」によるものと考えられるが、残念ながら現在所在が不明である。
 
表9 行橋郵便局の沿革
年月日事項
明治5.7.1京都郡行事村1040番地 行事郵便取扱所
  9.-四等郵便局に昇格
  13.9.16為替事務取扱開始
  14.4.18三等郵便局に昇格
  14.5.15貯金事務取扱開始
  16.12.12仲津郡大橋村2886番地に二等電信局を設置、電信事務取扱事務開始、大橋電信分局と改称
 仲津郡大橋電信分局を行事郵便局に合併し、行事郵便電信局と称す
  22.4.1京都郡行事村、仲津郡大橋村、宮市村の三村合併で行橋町となる
 町村名改正の結果、「行橋郵便電信局」と改称
  25.7.1外国通常為替事務取扱開始
  26.7.1小包郵便事務開始
  29.10.27行橋町行事1002番地に局舎移転
  32.9.25行橋町大橋2886番地に局舎移転
  36.4.1官制改正の結果、行橋郵便局と改称(三等郵便局?)
  42.2.15印字機通信方式を音響機に変更
  44.3.1電話通話事務開始
大正元.3.26電話交換事務開始
  13.12.30局舎新築
出典:中原征治「豊前国郵便変遷と行橋郵便局沿革」(『合本美夜古文化』第2集)より抄出

 「沿革」は当初の取扱所を行事村一〇四〇番地としている。これが進の自宅であったろうか。行事郵便取扱所は、明治八年の改称により行事郵便局となり、明治一四年に四等から三等に昇格した。その後一六年に設置された大橋電信分局と合併して行事郵便電信局となったのち、二二年四月一日に行橋郵便電信局と改称する。そして三六年に通信官署官制が公布されて再び行橋郵便局となった。
 この間、一四年五月一五日から貯金事務の取り扱いを始め、二五年七月一日から外国通常為替事務を、翌年七月一日から小包郵便事務の取り扱いを始めている。
 また鉄道の開通に伴い、郵便は鉄道便に切り替えられ、局舎も鉄道輸送に便利なように、二九年には行事一〇〇二番地に、三二年九月には大橋二八八六番地へと移転した。