明治の医療

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 明治二六年の「門司新報」には、保健、医療に関する記事が度々掲載されている。これを読むと、麻疹(はしか)や天然痘、赤痢が大流行したことや郡や町村、そして当時、保健衛生を管轄していた警察署の動きもよく伝わってくる。また、この年、行橋町では、町医に浦野栄治が就任したこと、伝染病患者を隔離する避病院を建設したことなどがわかる。以下、「門司新報」の記事を見ると次のとおりである。
○天然痘予防に就き協議京都仲津郡役所に於ては去月三一日管内各町村役場衛生主任書記を召集し天然痘予防方法等の件に付協議する所ありしと
(二月三日)
○行橋の麻疹麻疹患者蔓延(まんえん)せんとする兆(きざし)あり
(二月八日)
○行橋の種痘去る九日同地大橋旧縁寺にて施行せし由なるが呼出に応ずるもの例年に比して甚だ多くその数千余名に上り一時は非常に混雑を極めたる程なりし。また行橋尋常小学校生徒も同日校内にて種痘を行へり。右に就き行橋町の医師は残らず出席して接種に従事せり。なお、来る廿五日も施行する由なるが右医師一同は一切無謝儀にて従事するといふ
(二月一五日)
○天然痘発生仲津郡今元村沓尾に去る一一日天然痘患者一名発生す
(同前)
○麻疹行橋町にて同病の流行する由は曩(さ)きに報道せしがなお京仲両郡各村へ漸次蔓延の姿ありと
(二月一八日)
○行橋町町医定まる去る二五日開会の行橋町会に於て同町医を選挙したりしに同町大橋浦野栄治氏当選
(三月二八日)
○伝染病消毒法練習会京都仲津郡役所に於て昨一九日各町村及役場衛生主任書記を招集して伝染病に罹りたる消毒法の練習会を開くはずなりしも県官出張延引に付、来る廿四日午前八時より執行する事となれり
(七月二〇日)
○京都郡行橋町常設避病院建設同町会に於て協議せし末、去一三日の町会に於て愈々建築することとなり。委員を選び之に建築の事を委託する運びとなり、一昨日は地所借入等の為め委員の集会を為せり位置は行橋町大橋の内住の江にて費額は六〇〇余円なるよし委員は長野盛徳、草野信吉、富永方雄、福島甚六、玉池彦四郎の五氏なり
(同前)
○京仲両郡に於ける赤痢は追々蔓延の傾きあり。初発以来一五〇名の患者を見るに到れり。両郡中にて白川村、椿市村、祓郷村、伊良原村は最も流行の土地にて白川村稲光の如きは現卅名を出せり。なお伝染の模様あるを以て其筋に於ても撲滅方に尽力中なりと
(九月一日)
○行橋町避病院過般来建設に着手のところ敷地土工だけは昨今落成せしに付き家屋の建築に取り掛る由
(九月一三日)
○京都仲津郡に於る赤痢病初発以来本月一八日に至る迄の総患者五一四人内全治三五六人、死亡八九人にして現患者六九人なり目下主なる流行地は城井村、節丸村及椿市村なりという
(一〇月二二日)
○伝染病京都郡赤痢病患者は初発より今日まで三七名にして内死亡七名、治癒二四名、治療中六名なりという
(明治三一年八月二一日)
○医師集会京都郡役所は明二一日郡内開業医を郡役所に召集し伝染病研究所生徒志願者奨励の件、種痘施術上注意の件処二三件を附議せん筈また同会は引続き二二日より医師秋季組合会を開らく由
(明治三一年一〇月二二日)
○京都郡医師組合は去る二四日役員会を開らき郡内出征軍人の家族疾患者を無料施療の件を決議し直に各町村長に其旨を通知したり
(明治三七年二月二七日)
○感心の医師京都郡行橋町賛天堂医院安広伴三氏は施療券一千枚を京都郡衙及び行橋町役場に差出し出征軍人家族の疾患者に対し無料治療を為すと
(明治三七年二月二八日)
○京都郡の伝染病京都郡稗田村に於ては過日来、膓窒扶斯(チフス)猖獗を極め同村避病院には目下六名の該病患者を収容せりと
(明治三九年八月二九日)