明治三九年五月二日、医師法が公布され医師会の設立が規定された。
明治四〇年一月二五日、これまでの京都郡医師組合は解散して、京都郡内一町二〇カ村の開業医で京都郡医師会が組織され発会した。初代会長には郡内医師の最長老安田雲斎(七一歳)が選出された。
安田は、天保七年(一八三六)一二月二五日生まれ。九歳で村上仏山の水哉園に入門して研鑚一〇年、一九歳で熊本藩医深水橘斎に漢方医学を学び、二七歳の年に小倉に帰り医院を開業した。慶応二年(一八六六)の変動の後、椿市・福丸村に移った。明治三年正月、郡医手永頭取となり、同年一二月、医道引立方を勤めて帯刀を許された郡医師会の実力者であった。また明治二五年一〇月、京都郡から県会議員に出馬して当選、任期を重ね明治四〇年九月まで在任した。この間、明治三一年一一月には副議長の重職に就いた。安田は大正初期まで会長を勤めたが、昭和二年九三歳で没した(『京都郡医師会史』)。