昭和初期の医療従事者

242 ~ 243 / 840ページ
 昭和初期、医療に携った人はどれほどいたのだろうか。昭和六年一二月に京都郡自治振興会が発行した『京都郡町村名鑑』には、医師会、歯科医師会、薬剤師会、産婆会の会員名簿も掲載されており、当時の京都郡内で医療関係機関に従事した人々の様子を知ることができる。
 この名鑑を見ると、医師は四四名(うち現在の行橋市内二三名)、歯科医師一六名(うち市内一二名)、薬剤師七名(うち市内五名)、産婆五五名(うち市内二五名)で、当時は産婆の数が医師より多く、家庭での分娩が多かったことを示している。
 現在の行橋市内で名鑑に掲載されているのは次のとおりである。
 
医師会 行橋町=田原八郎、江藤文六、村上槌夫、市川皓太郎、木村照▽太田儀作、上野繁、内田定勝、大原義司。蓑島村=野村轍。今元村=小原正利、河野通義。仲津村=白川藤太郎、城戸健四郎、織田結、小幡吉郎、田畑剛藏。今川村=園田英▽小熊悦治。稗田村=定村正則。延永村=長尾整、藤田里。椿市村=久保貢。ほかに、現在の京都郡では、苅田町四名、小波瀬村一名、白川村一名、久保村三名、諫山村一名、犀川村五名、城井村一名、伊良原村一名、豊津村二名、祓郷村一名、節丸村一名。
歯科医師会 行橋町=中江嘉延、林正義、熊谷杏▽春日信、鎌田清市、上野正夫、毛利亮茂、河野通重、大江勇、白川貞保、菅租兵衛。今元村=片山豊春。ほかに、苅田町一名、豊津村一名、犀川村二名。
薬剤師会 行橋町=原田正三、原田ツネヨ、塚本惣太郎、北原清、古閑功。ほかに、苅田町一名、犀川村一名。
産婆会 行橋町=金田クニ、大浦マサ、杉野ツル、古門トキエ、桑野ハスエ、秋山友枝、村上トナ。蓑島村=守田トセ。今元村=末次シヅ、中村トヨ。仲津村=城戸カズエ、則松ハン、西野シゲノ、森山喜久子。泉村=出口キヨ、兼久末代、富中アキヨ。今川村=森岡マサ子、木下ミサオ、田中キクエ、清水タカ。延永村=毛利コマ。椿市村=田中クニ、橋上ヤスノ。宮崎スギ。ほかに、苅田町五名、小波瀬村二名、白川村一名、黒田村一名、久保村二名、諫山村二名、犀川村六名、城井村一名、伊良原村二名、豊津村二名、祓郷村三名、節丸村三名。