明治一五年の県議会で八署、三六分署、一二派出所を設けることが決定し、警部二四人、巡査四五〇人と決まった。経費八万九四六円。本署は福岡、久留米、小倉、柳河、芦屋、飯塚、甘木、行事に置かれることになった。
旧豊前国では小倉の分署は大里、曽根、香春。行事の分署は、豊津、添田、椎田、八屋で、小犬丸(現吉富町)に派出所が置かれることになった。
明治一五年三月九日、行事警察署が京都郡行事村中島一一三八番地に開設された。署員は内勤二名、外勤一八名の計二〇名。豊津、添田、椎田、八屋の分署にはそれぞれ六名、小犬丸出張所には三名が配属された。
警察署は中津街道の近くにあって、長峡川に面し、建物は木造瓦ぶき一部二階建で、延八一坪屋外点検場を含む敷地二三一坪であった。
明治一九年一二月、一郡一署制をとることとし、豊津、添田、椎田、八屋の各分署は警察署に格上げされた。
明治二〇年代に入ると、各地に駐在所が設置された。行事警察署と豊津分署管内に設けられた駐在所は次のとおりである。
明治二一年 | 白川(現苅田町)、久保(現勝山町)、今元、今川、苅田、椿市、仲津(新田原)、小波瀬(現苅田町)、黒田(現勝山町)、延永、泉 |
二二年 | 節丸(現豊津町) |
二五年 | 東犀川村古川、南犀川村本庄 |
二六年 | 稗田 |
二七年 | 伊良原(現犀川町) |
三〇年 | 蓑島、城井(現犀川町) |
三二年 | 祓郷(現豊津町) |
明治二九年四月、郡制改革が行われ、京都郡と仲津郡が合併して京都郡となったが、この時、仲津郡を管轄していた豊津警察署は分署に逆戻りした。さらに明治三九年九月、分署から巡査部長派出所となった。