明治二〇~三〇年代の消防組出初式などの様子を伝える「門司新報」の新聞記事がある。それを読むと出初式は、毎年、今川堤で半日がかりで行われ、参観者も多く、にぎわったことがわかる。
行事消防組出初式 行事警察署管内京都郡行橋町(大橋、行事両組)苅田村及仲津郡泉村の消防組は例年通本月四日、行橋町今川原に於て出初式を挙行せり。行事警察署よりは山本署長、久野警部及巡査數名出張の上順次器械の点検を行ひ、各組の運動行事消防組の梯子乗の技あり。次に喞筒(ぽんぷ)の發財を為せり。終て山本署長は本日の臨〓(りんけん)成績に依り各賞品を授與し、各組とも従来に比し大に進歩せしを述べ尚将来益々改良あらんことを望むと演説せり。賞品は左の如し |
壱等賞 紫旗 行事消防組 |
二等賞 赤旗 大橋消防組 |
三等賞 黄旗 苅田消防組 |
四等賞 青旗 泉消防組 |
(明治二六年一月七日) |
消防組の運動会 行橋町の南北両消防組總員二〇〇余名は、一昨二三日仲津郡今元村須佐神社で運動会を催したる由 |
(明治二六年二月二五日) |
消防出初式 行事警察署管内京都郡行橋町、小波瀬村、延永村、仲津郡今川村、泉村の各消防組は本月四日、例年の通り行橋町今川河原に於て出初式を挙行したり。行橋警察署より中島署長、久野警部以下巡査一〇余名出張し、中島署長は各組に就き消防組員の心得方を演説し器械の点検を行ひて後、各組は出火の際出勢の状を演して其遅速を競ひ、行橋消防組の仮設家屋に火を付消防の演習を為して一同退散せり。此の日参集の組員は総て五〇〇名。参観者は山を築く計りにして数千名に及ひたりと |
(明治二七年一月七日) |
消防組長を招集す 行事警察署長中島警部は本月廿六日、管内各消防組長を召集し今度消防組々織及改正の件に就き訓示する所ありたり |
(明治二七年二月二八日) |
消防組出初式 当地第一部、第二部の消防組は去る廿五日午前九時総員二〇三余名、警察署門前に参集し同一〇時佐藤署長の引卒にて今川河原に至り消防演習を執行したり。河原に七間余の竿頭(大灯灯しを吊し其近傍に藁を積み之れに放火するを合ズに竿頭の灯灯に第一第二両部双方より龍吐水を以て注射競争をなし殆んど三〇分間余にして第一部の射落す虚と也て勝を得たり。演習了はりて佐藤署長は諸器械器具の点検を終わり、組員を八字形に列せしめ消防上の心得方を丁寧に訓示し午後二時解散したり。当日は町長及町吏有志者等の参観せしもの多かりし |
(明治三一年一月二九日) |
消火器使用 小倉市にて九州一手発売元たる井澤民蔵氏は椎木商会日の出消火器を使用せんと、去る二〇日行橋町亀川寄せ洲にて薪木二百束に火を移し瞬間消し止め観覧者の喝采を博したりといふ |
(明治三五年一月二三日) |
京都郡通信 行橋消防組の一〇年以上勤続者部長小頭以下六七名に対し去る二七日、本県警務長より木杯一個宛を贈与せり |
(明治四五年七月四日) |