大正から昭和にかけて、何度か大火が発生している。「門司新報」や『行橋市史』には次のように記されている。
▽ | 行橋の大火 全焼一二戸、半焼二戸 |
| 京都郡行橋町大橋中町の松浦呉服店より昨五日午前三時出火。折悪く夜来吹荒ぶ西南の烈風にあおられて火の手は見る間に拡大した。 |
| 火は隣家からさらに稲荷町通りの雇女券番や大盛料亭、中町通りの人力車駐車場や商店を焼払った。全焼一二戸、半焼二戸にて午前五時鎮火した。被害総額は六三三五〇円に達し、外に行橋電灯会社の電柱の焼却の被害三〇〇余円。 |
(大正二年七月六日「門司新報」) |
▽ | 行橋工場の大火 工場五棟 汽車二〇台全焼 |
| 鉄道院行橋工場の木工場から九日午前四時一〇分、出火した。火勢は猛烈に黒煙を吐いて天に冲しその光景の凄(すざま)しく工場内備付の喞筒(ポンプ)及行橋町の喞筒を曳出して防火に努めたるもその甲斐なく忽ちにして火元なる木工場一六〇坪と三二〇坪を焼払い続いて物置三坪と一坪九合に延焼し、なお塗工場六一七坪の全部を甜(なめ)尽し余災は更に客車六台、無蓋車一〇台、有蓋車三台を襲いたるより線路の枕木一七鎖間にありしもの五〇〇挺も共に焼失し、なお三〇馬力の発動機その他鋸諸機械等も全部烏有に帰しようやく午前六時三〇分鎮火したり。 |
(大正三年一二月一〇日「門司新報」) |