行橋町空前の大火と罹災救助

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 「昭和一〇年三月四日午後六時頃、門樋米穀商白石角太郎居宅付近より発火し、空前の大火となった」と徳田伊勢次郎町長は次のように記している。
 付近一帯は多く草家のため、生憎の烈風に煽られ、瞬間にして四方に延焼し、一帯は火の海と化して、遠く三〇〇間内外を距てたる川島区に飛火した。川島区もほとんど草家のため、物凄き火勢は一帯に延焼し、午後七時半頃に至り、全く鎮火したり。
 当時、火勢猛烈を極めたるため、罹災者は辛うじて身をもって逃がれ、家財等搬出のいとまない状態で、実に罹災家屋は門樋において一五棟、川島区において一六棟、損害見積価格三万円以上に達し、行橋町空前の大火となった。
 町当局は直ちに京都郡乾繭所を町役場臨時出張所に充て、吏員総動員の下に応急対策に着手し、同情金募集のため翌五日、区長会を開き、七日、町当局に三五四七円四〇銭を提出した。町は救助金二一五九円七五銭を加えた合計五七〇七円一五銭を罹災者資力の程度に応じそれぞれ配当した。
 行事主婦会、宮市主婦会、西町主婦会は発火後四〇分、直ちに炊出しをはじめ、罹災者や消防組に配った。また婦人会、処女会は同情衣類の募集を行い、この衣類はリヤカー二台、荷車一台という多量にのぼった(『行橋市史』)。