一九二〇~三〇年代福岡県地方の農民運動は、左派の全国農民組合全国会議派福佐連合会(全農福佐、昭和三年八月結成)、右派の日本農民組合九州同盟会(日農九同、昭和二年八月結成)、中間派の全国農民組合総本部派福岡県連合会(全農福岡県連、昭和七年一〇月結成)の三派が鼎立した。京都郡は県下で最初に三派の農民組合の諸組織が出現した地域である。
一般に一九二〇年代は小作攻勢・地主守勢的な小作料関係争議が主流で、三〇年代になるとに地主攻勢・小作守勢的な土地関係争議や、地主側有利に解決された小作調停が増加していく。ところが、京都郡では、全国的には農民運動が退潮傾向にあった三〇年代に運動が活性化し最盛期を迎えた。