京都郡の全農全国会議派=共産党系は、退潮期にあった全農福佐に代わり、隣県の全農全国会議派大分県連の支援を受けた。全農大分県連は、昭和七年三月、築上郡横武村薬師寺(現豊前市)の小作料関係争議、翌年五~六月、京都郡稗田村中川の小作料関係・土地返還争議、同年一二月~翌年二月、京都郡苅田町南原の小作料減免要求争議などを支援し、京都郡にも影響力を拡大した(小正路淑泰「承認と逸脱をめぐる政治-全国水平社未組織農村における農民運動と水平運動-」『法政研究』74-3)。全農大分県連組織部長・真辺武夫は、こうした農民運動に加え、ソヴエート友の会京都支部を指導し、大分県北と京都郡の共産党系は密接な関係を築いていた。