日農九同豊前連合会

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 右派の日農九同豊前連合会は、昭和八年七月現在で、京都郡において三九支部五八三人を組織し、農民戦線における多数派を形成していた(表1参照)。日農九同豊前連合会の前身は、平野力三・稲富稜人らが結成した全日本農民組合同盟(全日農同盟)京都郡連合会(昭和四年三月二四日結成)である。有永霊城が、全日農同盟京都郡連合会の初代会長に就任した。全日農同盟は、昭和三年七月に全日本農民組合(全日農)、さらに昭和六年一月に日農に再編された(写真2参照)。
 
写真2 日本農民組合九州同盟会の機関紙『九州農村新報』
写真2 日本農民組合九州同盟会の機関紙『九州農村新報』(法政大学大原社会問題研究所所蔵)

 昭和八年三月二四日、日農九同豊前連合会第六回大会(行橋町都座劇場、一二五名)では、会長有永霊城、副会長原田政市(馬場支部)、主事宮城庄蔵、会計天野無津次(下正路支部)・中野泰蔵(大道支部)、会計監査久富喜寿(新津支部)・金子音吉(大熊支部)、書記西本政男、評議員村上治郎兵衛(道場寺支部)ほか三二名が役員に選出された(『福岡県史 近代史料編 農民運動(三)』、以下『農民運動(三)』)。昭和一〇年以降、会長には有永に替わって宮城庄蔵が就任した。