複雑な無産政党支持関係

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 日農九同豊前連合会の無産政党支持は、非常に複雑な軌跡をたどっている。まず最初は、昭和四年一〇月二一日、九州勤労党豊前支部連合(三八〇人)を結成する。九州勤労党は、筑後地方を基盤とする地方無産政党であった。次に、日農結成を契機に九州勤労党を離脱して社会民衆党(社民党)に合流した。社民党豊前支部は昭和六年一〇月現在で支部員四二〇人を擁しており、この数値は同時期の日農九同豊前連合会の組織人員とほぼ一致する。つまり、社民党豊前支部と日農九同豊前連合会は、表裏一体の関係にあった。
 昭和七年二月二〇日施行の第三回男子普選第一八回衆議院総選挙において、旧福岡県第四区(定数四)では、全国労農大衆党(労大党)古市春彦、社民党小池四郎の二人の無産派が立候補した。選挙戦終盤で、前年九月一八日に勃発した満州事変への対応が争点化され、古市春彦は「帝国主義戦争絶対反対」、「満蒙既得権益の放棄」を、小池四郎は「満蒙の権益を民衆の手に」と訴えた。満州事変以降の排外主義的な動向が強まるなかで、古市は落選し、社民党豊前支部が支持した小池は、京都郡でも一三五七票を獲得し初当選を果たした(表2参照)。
 
表2 第18・19・20回衆議院総選挙(旧福岡第4区)の成績
(1)第18回総選挙(1932年2月20日)
氏名政派当落小倉市門司市企救郡田川郡京都郡築上郡総計
内野辰次郎政友(前)2477,4021,3223714,9836,44220,767
坂井大輔政友(前)5,5372772,17811,61923010219,943
小池四郎社民(新)3,1143,9101,1274,2201,35765114,379
勝正憲民政(前)3,7971661,0568,018822613,145
末松偕一郎民政(前)2335,325511793,3393,85812,985
古市春彦大衆(新)494196382388132251,617
(2)第19回総選挙(1936年2月20日)
氏名政派当落小倉市門司市企救郡田川郡京都郡築上郡総計
勝正憲民政(前)7,4255641,85714,7585199125,214
末松偕一郎民政(元)7569,5941603795,0775,29921,264
片山秀太郎政友(新)2,5572382,3133,74970488,975
末次虎太郎政友(新)2433,2146481732,3631,9178,558
田原春次社大(新)2,0871,1371,0922,2601,4563298,361
小池四郎愛国(前)1,5672,2405813,0616242348,307
堂本為広社大(新)1,1601,2251211,1801541173,957
(3)第20回総選挙(1937年4月30日)
氏名政派当落小倉市門司市企救郡田川郡京都郡築上郡総計
勝正憲民政(前)6,4285721,50513,90954714523,106
末松偕一郎民政(前)4376,874692944,5155,89018,079
田原春次社大(新)3,4333,7641,3755,5492,04478616,951
小池四郎政革(元)2,0213,3726343,46567163810,801
片山秀太郎政友(前)2,1891892,8144,0904081649,854
末次虎太郎政友(前)1743,2671702732,5693,2229,684
出典:衆議院事務局編『第18・19・20回衆議院総選挙総覧』