全農総本部直属の京築支部

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 昭和六年二月、行橋町に開校した堺利彦農民労働学校は、翌年二月二八日、全農総本部派京築支部の結成という成果をもたらした。ここに、全農第四回大会以降、合法無産政党支持をめぐる総本部派と共産党系全国会議派(全会派)の分裂後、全会派の最有力県である福岡県において、総本部派組織が県下で最初に京都郡に誕生した。京築支部の支部長には田原春次、書記長には浄土宗西山派安生寺(今川村流末)の青年僧侶で、全国労農大衆党(労大党)京築支部情報部長の石生隆光が就任した(『農民運動(三)』)。全農京築支部には、被差別部落小作農を中心に京都郡・築上郡の約六〇人が組織され、そのリーダー層は、「堺学校の門下」(『田原春次自伝』)であった。
 田原春次が率いた全農京築支部(のち京築委員会)は、小作争議のみならず、機関紙「社会新聞」北九州版(九州版)の発行、ミヤコ医療組合実費診療所の開設、差別糺弾闘争、今川ダム建設反対運動など多彩な運動を展開していった。