全農福岡県連の創立

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 田原春次は、昭和六年一二月より総本部派農民組合の組織化に着手し、翌年二月二八日、全農京築支部を結成した。五月一〇日、全農京築支部を京築委員会に再編し、同夜、行橋町都座と今元村西頭常雄方において、京築委員会結成演説会が開催された。演説会のビラ(発行責任者石生隆光)には、演題と弁士が、「国民社会党内情暴露(本部員田原春次)、農民よ団結せよ(豊津支部落合久生)、無法他(ママ)主をやっつけろ(苅田支部奥屋裕)、小作料税金を半減せよ(稗田村支部丸山元平)、不景気打開策(行橋支部出口養造)、郡内小作争議の真相(今川支部石生隆光)、今井市場事件報告(今元村支部奥正義)、小作争議は、こうして勝て(北豊前農民組合佐保高)、土地取上げ絶対反対(小倉支部林英俊)、農村問題の根本解決(中央委員長杉山元次郎)」と紹介されている(『農民運動(三)』)。
 昭和七年一〇月一七日、全農京築委員会は、企救郡の北豊前農民組合、三井郡の筑後農民組合との合同を実現し、全農福岡県連合会(全農福岡県連)を結成した。京築委員会より田原春次が執行委員長、落合久生が教育部長、蓑干万太郎ほか五名が執行委員に選出された。