機関紙「社会新聞」北九州版(九州版)

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 全農京築委員会および全国労農大衆党(労大党)-社会大衆党(社大党)京築支部は、東京・社会新聞社発行の「社会新聞」に「北九州版」(のち「九州版」)を設置し、自らの機関紙と位置づけた。「社会新聞」は田原春次ら旧日本労農党系中間派が編集同人となって、昭和七年五月一八日に創刊した旬刊紙である。初代北九州支局長には落合久生が就任し、支局は豊津村豊津二八〇番地落合宅内に置かれた。
 「社会新聞」北九州版は、昭和八年一月二一日発行の第三三号からは名称も「九州版」と改称され、九州支社を林英俊宅(小倉市古船場町三〇番地安全寺)に移転し、支局長には全農福岡県連組織部主任小祝藤吉が就任した。小祝藤吉は豊津で荒物屋を営んでいた小市民層であった(堺利彦「土蜘蛛旅行」)。