今川水利権防衛同盟

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 昭和九年、福岡県では六月降雨量四九ミリ(平年の五分の一)という福岡測候所開所以来の「未曽有の涸梅雨現象」を呈し、県下全体で七割以上減収田五四六二町歩、無収穫田二九六六町歩、被害総額は一二〇〇万円に及び、特に京都郡の被害は甚大であった(『福岡県災異誌』)。
 こうした大干魃に見舞われるなか、京都郡苅田町に新工場を建設した日曹コンチェルンは、工場用水確保のため今川下流に大規模なダム(コンクリート堤堰)建設計画を立て、福岡県耕地課の認可を受けて工事を開始した。今川下流の全農傘下にあった小作農は、このコンクリート堤堰が致命的な水不足をもたらすとの認識から今川水利権防衛同盟を結成して反対運動に立ち上がり、争議団事務所を全農行橋支部に置いた(『土地と自由』昭和一〇年三月五日 第二版)。