農地制度改革同盟は、昭和一四年一一月、田原春次ら農民運動関係の国会議員を中心に、大日本農民組合・日本農民組合総同盟その他の団体を糾合した農民団体である。政府による食糧増産・生産力拡充のための農地政策・小作対策に即応して、「農地制度の合理的改革」を目標に政治活動を展開しようとした。農地制度改革同盟は小作地の国有化、土地管理制度の樹立を主張し、数回にわたって農地国家管理法案を国会に提出、また、小作料統制令をよりどころとして小作料の引下げ運動を行った。しかし、昭和一七年三月一七日、内務省により「社会主義的政治結社」として解散を命ぜられた。
戦時下の田原春次は、海外同胞中央会理事、拓南鉱業株式会社社長、在ニューギニア海軍民政府嘱託、大政翼賛会傘下の興亜総本部南方局第二部長に就任して日本の戦争政策遂行の一翼を担った(『田原春次自伝』)。