昭和八年一〇月二四日の全農福岡県連第二回大会(行橋町都座)では、「京築地方闘争報告」として、全農京築委員会が展開した京都郡内五件の差別糺弾闘争、「差別問題」による泉村村長辞職、高松結婚差別裁判真相報告会などが経過報告された。蓑干万太郎は「第二議案 京都郡農会差別糺弾の件」について、「郡内地主の利益擁護機関化した京都郡農会は、しばしば部落民の不注意に乗じ、その納入藁縄に限って重量をゴマ化し来りたるは、差別と横領の二罪を犯してをる」と提案し可決された。
翌年四月三日、全水九連拡大委員会(福岡市金平公会堂)における財政部会計報告(昭和八年八月~翌年三月)では、差別糺弾闘争九州地方協議会へ今元村の被差別部落二カ所より三円の闘争基金拠出が報告されており、全農京築委員会の差別糺弾闘争は、何らかの形で全水九連の高松闘争と連動しながら展開されたのである(小正路前掲「承認と逸脱をめぐる政治」)。