福岡県親善会の対応

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 このような全農京築委員会による差別糺弾闘争が活性化するなか、福岡県親善会は、昭和八年八月二一日、今川村で「融和親善講演会」を開催し、親善会主事・真鍋博愛、万福寺住職・大友教雄の講演に、戸主会・青年会・主婦会・処女会からの二五〇名を超える参加者があった。また、親善会は九月に仲津村(二一日、一〇〇〇余名)、豊津村(二二日、五〇〇余名)、節丸村(二三日、一〇〇〇余名)、城井村(二四日、約五五〇名)の四カ所で融和問題映写会を開催した。
 親善会は、この一連の融和事業実施について、「京都郡内各地に於て、数度差別事件が起こつたので、今川村長楢原延彦氏は深く之を遺憾とされ、融和親善講演会の開催を企画し」(「融和時報・九州各地版」昭和八年一〇月一日)、「同郡(京都郡-引用者)は各地に於て、近時屡々差別問題を起し、県下に於て特に融和促進を強調して、国民諧和の実現を期したき地方」(「融和時報・九州各地版」同年一一月一日)と説明している。これは、部落差別の深刻度において京都郡に地域的な偏差があったわけではない。全農京築委員会が、それまで問題とされなかった事柄を「部落差別」と認識・批判・告発したことで、部落問題を社会問題化・政治問題化することに成功したのである。「差別問題」で村長が辞職するほど、地域政治社会に大きな衝撃を与えたのであった。