日中戦争期、独立系水平社自治正義団とは異なる全国水平社の組織と運動が京都郡で展開された。この全水系のリーダーは、行橋町在住の小市民層で、堺利彦農民労働学校に学んだ木本新次郎である。木本は昭和一〇年三月一日の全農京築委員会を「全国水平社」を名乗って傍聴した。
昭和一〇年、「今まで水平社の組織が無かつたため差別事件が発生したら一部不良分子に依つて結局はウヤムヤに葬られてゐた京都郡延永村」で、「始めて全水の応援を得て」、差別糺弾闘争が展開された(「水平新聞」昭和一〇年八月五日)。この差別糺弾を応援した「全水」とは、木本グループと推定される。