堺利彦(一八七〇~一九三三)は、豊津町出身の著名な社会主義者である。明治三六年、平民社を結成して日露非戦論を展開。大逆事件後の「冬の時代」を文章代筆業・売文社を拠点に柔軟な抵抗を持続し、日本社会主義同盟(大正九年)、第一次日本共産党(大正一一年)の中心的存在として活躍する。その後、昭和二年一二月に雑誌『労農』を創刊して労農派を形成し、共産党に対抗しつつ合法左派無産政党運動を展開した。晩年は郷里に堺利彦農民労働学校を開校した。同校は一九三〇年代に四期わたる集中講座を開催し、京都郡における大衆党系農村社会運動を高揚させた。
ここでは、まず京都郡における無産政党運動、すなわち学校の運営主体の形成を、次に学校の展開過程と変容について述べる。