無産大衆党京都郡支部

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 昭和三年九月上旬、京都郡の在地農村青年で労農派地方同人の落合久生は、豊津出身の文芸戦線派プロレタリア作家・鶴田知也より無大党宣言・綱領を入手し、同党京都郡支部の設置を期して「無産大衆党支部発会式に当りて檄す」のビラ数一〇〇〇枚を行橋を中心に北九州各地に配布した(『特別高等警察資料』昭和三年一一月)。この時、落合久生は弱冠二一歳の青年であった。落合は九月五日、第一回無大党支部準備演説会(豊津村)、九月二七日、電灯料値下町民大会(行橋町)、一〇月九日、同村民大会(豊津村)を開催した。しかし、これらは「聴衆僅に五〇名内外にして気勢更に揚らず」、「実際運動の体験を有せず、且つ何等目標とすべき地盤なき為め未だ組織の完成を見るに至ら」(同前)なかった。