堺利彦の「土蜘蛛旅行」

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 全大党顧問に就任した堺利彦は、昭和五年一〇月二二日より二五日まで帰郷した(堺利彦「土蜘蛛旅行」)。大逆事件の遺家族慰問旅行の途上で帰郷して以来、約二〇年ぶりのことであった。
 帰郷二日目の夜、豊津の落合久生宅で堺の歓迎会が催された。歓迎会に参加した森毅は「その夜の饗宴は今思い出しても愉しい一夜で、天下のユーモリストを任ずる枯川老が幾たびか腹を抱えて爆笑する珍談、逸話が夜更まで披露され、禁酒されていた先生が『話に酔つてしまつたよ』と言われたのが一時を過ぎていた」と回想している(森毅「土蜘蛛旅行の頃」)。全大党京築支部の青年たちは、この時、かねてより温めていた独立系農民学校設立構想とその校長就任を堺に要請し、堺は即座に快諾したのである(堺利彦「故郷のあこがれ」)。