第一期学校に関しては、落合久生「第一期堺利彦農民労働学校報告」(『文戦』昭和六年四月)という詳細な記録がある。それによると第一期学校は「中止一六回注意一九回検×〔束〕三名」と官憲のすさまじい弾圧のなか延べ人数で約八〇〇名の参加者があり、門司、小倉、行橋、豊津で開催した有料演説会に約五〇〇〇名の大衆動員を成功させた。開校に際しては全国各地から二〇〇件以上の問い合わせが殺到するという大きな社会的反響を巻き起こした。全大党京築支部は、「全く予想以上の効果を得てその第一期を終了」し、「極めて吾々と近い所に住んで居乍らまだ手を把り合はなかつた人々」の間に支持を拡大した(同前)。