閉校式終了後の八月三一日午後七時、行橋町の都座において「堺利彦農民労働学校大会」と銘打った時局批判演説会が開催された(写真6)。入場者は約六〇〇名、そのうち数名の女性の参加があった。主な演題と弁士は、「太平洋をめぐる第二世界戦争」(田原春次)、「日本歴史の最後の大変革」(堺利彦)、「戦なき所に勝利なし」(浅原健三)、演題不詳(落合久生)であった(『社会運動通信』昭和六年九月六日)。
田原春次は第二期学校直前の四月九日~八月二〇日、浅原健三らと渡米した。浅原は、視察報告「粗描『アメリカ』十数景」(『改造』昭和六年一〇月)で、「軍事、経済、政治にアメリカの戦争準備は異常に強化拡大」していると述べ、「第二帝国主義戦争」の「大爆発の危機」を指摘した。田原も浅原同様の危機意識を抱き、「太平洋をめぐる第二世界戦争」と題して演説したのだが、「無産者と戦争」に話が及んだとき中止を命じられてしまった。満州事変勃発のわずか一八日前の出来事である。