第一期・第二期堺利彦農民労働学校は、昭和七年三月二八日、全農総本部派直属の京築支部(京築委員会)の結成という成果をもたらした。全農京築委員会は、一〇月一七日、北豊前農民組合(企救郡)、筑後農民組合(三井郡)と合同して全国農民組合福岡県連合会(全農福岡県連)を結成し、執行委員長に田原春次が就任した。全農福岡県連結成大会で、田原は「我国社会運動の先駆者堺利彦氏の農民学校を我福聯は積極的に支持すべきである」と提案し可決された(『農民運動(三)』)。こうして第三期以降の学校は、労農派系の独立農民学校・労働学校から全農福岡県連の農民教育機関へと移行していった。