目次
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第七編 近代
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第四章 社会・生活
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第四節 社会運動
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三 堺利彦農民労働学校
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2 堺利彦農民労働学校の展開過程
落合久生の転向
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堺利彦農民労働学校主事・落合久生は、昭和九年一月二三日、すなわち堺利彦没後一年の命日に、突如として社会運動からの絶縁引退の「声明書」を発表して転向し、「満州国」へ逃避していった。「新聞で見たかも知れんが、落合は転向して行ったぞ………会長の入獄と同時に百姓を搾って逃げて行く奴が何になる」とは、豊津の常設校舎に転居していた野沢四郎が、全農第一四回全国大会準備委員会に宛てた書簡の一節だが、その野沢も同年六月、大分市の日本キリスト教会に副牧師として赴任し運動を離脱した。