社会大衆党(社大党)は、全国労農大衆党(労大党)と社会民衆党(社民党)の合同により成立した最終的な単一無産政党である。しかし、福岡県においては、労大党と社民党の合同は最後まで実現できず、二つの社大党県連が並立した。京都郡では、旧労大党京築支部(八八人)がそのままに社大党京築支部に移行していった。ところが、落合久生転向後、社大党京築支部は、右派の田原春次派と左派の蓑干万太郎派に分裂した。田原派は同年二月二九日、旧社民党系社大党京都支部(五〇人)を新たに結成し、伊藤卯四郎ら旧社民党系との連携を強めていった。