大陸植民講座と九州植民学校設立構想

282 ~ 282 / 840ページ
 田原春次は、昭和九年五月一日、小倉市で大陸植民講座を開催した。だが、この講座は、「一〇〇名の募集にたいし僅か八名の聴講者があるのみ」という結果に終わった(『福岡県農地改革史』上)。
 田原春次は、このあとの七月一六日、「九州最初の唯一の常設海外移住機関/九州植民学校創立原案」(法政大学大原社会問題研究所所蔵)を発表した。「九州植民学校」の設立趣旨は、「満蒙南米南洋その他各国に移住せんとする人々に学術技芸を短期に教授する」と定められ、満州科(二〇名)、ブラジル科(一〇名)の二科の設置を予定していた。九州植民学校は、堺利彦農民労働学校の再編案として構想されたのであったが、開設には至らなかった。